2013年3月20日 (水)

三味線と琴

最近電車の中で「三味線のある家は少ないが、琴はどこの家にもある、その中でもよい琴は少ないが悪い琴は多い」と話しているのを聞きました。琴=事のことを云っているのです。
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そう云えば我が家も今年は事が多くありそうな気がします。先ず2月の始めにはよい事で、姪の息子の豪華な結婚式に招待され喜びの感動を貰ったのも束の間、2月16日には長寿だったとは云え7人居た父方の従兄弟姉妹の最後の一人が亡くなり、3月6日には息子の結婚を見届け安心したのか姪の夫が半年間の膵臓癌との闘病のすえ亡くなりました。

今は二人に一人が癌になると云われていますが、我が相棒と二人も1月25日に集団胃癌肺癌大腸癌検診を受け、異常なしならはがきで通知が来るので待っていたら他の郵便物に混じって二人ともはがき通知が来ており一旦は糠喜び、相棒には封書の通知もきても来ていました。胃に異状があり精密検診を受けるようにとの通知です。

直ぐかかりつけの開業医で胃カメラ検査と組織細胞診を受け、ほぼ胃癌に間違いなしと言われ、近くて名医の揃った大病院である近畿大学医学部附属大病院に紹介され3月12日初診を受け、今現在通院で各種検査中です。初診から約一ヶ月は外来で検査と診察が続きそうで、入院手術は4月に入ってからと思われます。

近畿大学医学部附属病院
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そういうことで当分は相棒の闘病の支援に追われる日々になりそうなので、ブログの投稿も遠のくと思われますが一日も早く復帰出来るよう頑張りますのでその折にはまたよろしくお願いします。

2013年3月 5日 (火)

啓蟄

今日は「啓蟄」、秋分の日頃から地下や樹皮の襞にもぐりこんで冬眠していた虫たちが出てきて活動し始める頃ということですが、先手を打って一日早く昨日公園の木に虫集めに巻き付けられていた菰が外され焼かれていました。
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ここ二三日の日中の陽気に浮かれ気分で早く出て助かった虫と律儀に暦通りを守って焼かれた虫の運命の分かれ道だったようです。でも今日のウォーキング途中では虫らしきものには一匹も会いませんでした。そういえば昨年啓蟄の日に出て来てのろのろ動いていた蛇が翌日大霜の朝少し離れた場所で動かなくなっていました。

わたしは始めて知ったのですが啓蟄」の「啓」の字は「ひらく」という意味があり、「蟄」は武士や公家が幕府や領主の意に沿わないことをした場合、刑罰として「蟄居を命ず」云われた「蟄居」の「蟄」の字と同じなんですね、すなわち閉門して自宅の一室で謹慎することだそうです。

虫も人に害し嫌われる虫が多いですが虫は冬将軍から蟄居を命じられるのか、自主的に蟄居するのか、どちらにしても啓蟄を過ぎればまた悪さを繰り返すので困ります。
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でも虫からすれば「生物皆平等に共存するべき地球を独占し、公害や殺虫剤まで撒き散らし、環境破壊しているような人間ほどの横暴はしないよ、人間も少しは蟄居反省せよ」と鳴いているようです。
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2013年2月27日 (水)

方言

今日いしころとまとさんのブログ 「何となくいずい」こと を見せて貰って、私は「いずい」という言葉を聞くのは始めてでした。今はメデイアの発達普及で各地の方言を知る機会も多く、始めて聞く方言は珍しくなりました。こちら和歌山の方言では 「ザ、ジ、ズ、ゼ、ゾ」 と 「ダ、ヂ、ヅ、デ、ド」 の区別発音が出来ないのが特色です。

面白い話に和歌山の若者が東京の楽器店に就職し間もないあるとき店主から倉庫へ行ってバイオリンの在庫を調べて来いと言われ、調べて戻って 「全然在庫がありません」 と報告したところ、店主は 「お前は何をいってんだよ、でんでん太鼓なんか扱ってねーよ、バイオリンの在庫を見て来いと言ってんだよ」 と叱られたと云います。

方言のウィキペディアでこんなの見つけました。

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和歌山県は「じゃんけん」域に入っていますが、私の子供の頃は「じゃんけんすい、あいこでほい」でした。これはよいのですが、

自分=うら

あなた=おい

何々がね=何々がない  

私がね=うらない(占いではありません)

何々するから=何々するさけ

しんどい=えらい(偉いではありません)

のような方言が使われており、それが汚い言葉のように云われ、小学校ではどこでも通じる標準語を使うように薦めるため、思わず方言を使ったとき相手と遣り取りするカードを10枚持たされ、カードがなくなれば担任教師の説教を受けました。

その結果か現在はもう方言を使う老人たちもだんだん居なくなり、アクセントだけが少し違う標準語になってきました。でも今になって考えると方言は夫々の地域の文化であり、特有の温かさや標準語では言い表せない微妙さを持つ言葉もあり、使うことを卑下するようなものではないと思います。

故郷を遠く離れて都会人から田舎っぺと思われまいと緊張して話して暮らす人がたまに故郷に帰って故郷の言葉を聞くとほっとして癒されると云います。啄木の詩 「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」 の通りだと思います。

2013年2月15日 (金)

国城山

昨日はあまりの好日和に浮かれ午後急に相棒と二人で近くの国城山に登って来ました。552Mの低山ですが途中も頂上も展望が良いので惹かれて登る人が多いのです。登山口は南海電鉄高野線の紀伊清水駅からです。標高87Mから552Mまでを距離3キロ余りで登るのでかなりきついですが、振り返って展望を楽しみながらゆっくりと2時間で登りました。

登山口紀伊清水駅
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標高87M
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傾斜地の柿畠や散在する集落の中を登ります。
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途中の展望。紀の川を挟んで向こうは大阪との府県境和泉山脈です。
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登り最後の階段です。
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頂上国城神社。二人の年齢不詳にしようと遠景にしたのですが無理でした。
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この神社はこの地域の開発者(国主)が、神がこの山頂の大樹に姿を変えて現れておられると信じ、神の鎭まる浄域として大和時代(千数百年前)に創建されたそうです。

平成10年の台風被害を受けるまではその大樹を中心に鬱蒼とした森に囲まれた神域でしたが、台風で無残に壊滅した森の跡には桜が植えられもう少しで桜の名所になりそうです。

この神社の伝説の一つには坂上田村麻呂将軍が朝廷の命で奥州に出兵したとき戦況思うに任せず苦慮していたある夜「国城神社の神域に自生する竹を用いて矢にすれば大勝利を得る」との夢のお告げを受け、当社に参拝し20日間祈願のお籠りをして竹を頂き矢にして大勝利を得たと言われています。

この山にはこの神社と少し離れて二社と三社あります。

三平神社。

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金刀比羅神社。
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三社巡りのあとは我が家へ一駅近いほうの、駅名にあやかった入試合格祈願済入場券売り出し中の学文路駅へ下りました。

登りより8M余分に下って海抜79Mの学文路駅です。

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標高79M
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往復で8キロ足らずですが半日のウォーキングとしてはよいコースで、心身共にリフレッシュしました。今日は昨日の天気とは打って変わっての雪模様、春はまだ遠いようです。

 

2013年2月 8日 (金)

梅一輪

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」 と云う句がありますが、今日は日中でも零度、雪もちらついている中でウォーキングコースの廃屋の庭の梅が一輪咲いていました。毎年見ている梅の木ですが今年は例年より早い気がします。1dc3181

主がなくても百花の魁と言われる品格を忘れず凛として咲いている感じです。

小さな陽だまりにすみれも咲いていました。花の春は少しの早い遅いはあっても季節が巡ってくる度に何度でも咲きなおしが出来るのが羨ましいです。
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先日結婚式に参列して思ったのですが、
人生の春はどうでしょう。誕生、入学、卒業、就職、結婚と云うような節目が春でしょうか、これが誰にも平等に季節のようには巡って来ないものです。そしてやり直し咲き直しも利きません。これを当人の宿命、運命、努力などの結果として片付けられていますが、それだけではどうにもならない社会情勢に左右されることが多いです。

今、安倍首相が、自民党が得意げに掲げる政策アベノミクスが、少なくとも就職出来ない、結婚出来ない、子育て出来ないで人生の春を待つ若者だけにでも実現近い希望を持たせることが出来るのでしょうか?

アベノミクスの3本の矢は大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略だそうですが、大企業がよろこびそうなことばかりで、うまく行っても国民に巡って来るのは遠い未来としか思えず、それどころか国の借金は増え、直撃する物価上昇や、福祉の引き下げ、そして消費税値上げ、これでは春どころか極寒の冬は長引くばかりです。

そしてその先には憲法改正、軍備増強、徴兵制度、絶対起こしてはならない悲惨な戦争まで垣間見えるのは私の被害妄想であればよいのですが、若者の春の気配も感じられません。国民はあと5ヶ月余りの参議院選挙までには自民党政権の腹の底までじっくりと見透かして投票しなければ永久に春など来ないでしょう。

せっかくの一輪の梅の花から悪い連想を綴って終い気分を滅入らせたことでしょうが、取りあえずは今の平和を感謝し花の春を楽しみましょう。
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2013年2月 3日 (日)

結婚式

今日は身内の自慢臭くなりますが、幾つになっても結婚式に招待されるのはいいものです感動します。私には甥が9人、姪が4人、家内には甥が5人、姪が5人いますが、甥姪は夫々全員結婚して以後、身内の結婚式参列は何年か遠のいていましたが、昨日毎月墓参りに来ては立ち寄ってくれている私の姪の息子の結婚式に招待されました。

結婚式は大阪市西区にある荘厳な川口基督教会で行われました。
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出席して驚いたのは両人の友人関係、仕事関係その交友の多さでした、定員150名と聞く教会の席が満席の感じでした。

今は親からの生計援助を当てにしての結婚も多いようですが、今日のこのカップルは交際期間がかなり永かったのですが、その間お互い助け合いながらそれぞれ自分の夢の実現に努力し成功したカップルなのです。

新郎は10代からベースを習い初め、20代前半にはプロとしてジャズのQUARTETやTRIOを結成し現代はジャズクラブ、ライブハウス、ホテル等で日夜演奏のプロミュージシャンとしてスケジュール一杯の活動しています。
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新婦はもとは新郎が音楽活動の傍ら大阪アメリカ村で初めたアメリカ中古衣料の店を発展させ株式組織にして現代は若者の街大阪南堀江でNUTTY VINTAGEという瀟洒な洋装店2店を経営しています。昨年9月まで放送されたNHKの朝ドラ「カーネーション」の衣装協力もしました。
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二人共に完全自立してからの結婚であり、今日の日だけでなく幾つもの祝福を上げたい結婚式です。

披露宴は芦屋市のメゾン・ド・ジル芦屋に場所を移しフレンチで盛大に盛り上がりました。
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友人たちの演奏や歌が日暮れまで続きました。
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新郎の主宰するカルテットの演奏を最終にしてお開きとなりました。

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2013年1月21日 (月)

わが町の駅

わが町は人口5000人足らずの小さな町ですが高野山へ向かう南海電鉄高野線の駅が4駅あります。始発駅大阪難波から高野山に向かって、大阪府と和歌山県境の長い紀見トンネルを超え約40分で橋本市に入って6駅を通り九度山町中心部に入って最初の駅が「九度山駅」です。
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九度山駅の名所案内には世界遺産の慈尊院、古道町石道起点、丹生神社、そして真田幸村隠遁地として由緒ある真田庵などがあります。

そしてすぐ渓谷に沿う鉄道となり次の駅は高野下駅です。
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大正14年の開業から高野山に向かって順次延伸される昭和3年までは南海高野線の終着駅でした。この集落には当時の旅館の名残の残る民家もあります。ここから高野山までは徒歩か駕籠で登ったそうです。徒歩で急坂を登る人の腰を押す職業があったそうです。

次の駅は下古沢駅です。
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下古沢は次の私の生息地上古沢の2倍120戸くらいの集落です。住民以外の乗降客はないので行き違いの出来ない単線無人駅になりましたが、不要になったプラットホームから四季折々の花屏風が高野山観光の人を車窓に迎えてくれます。
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この下古沢と上古沢の間には中古沢という集落があるのですが駅はありません。

次はわが故郷上古沢駅です。
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昭和3年の開業以来の古い駅舎で左横にはつっかい棒をしているのが見えます。それでもこの駅は世界遺産の古道高野町石道の中間点に取り付くハイキングコースの始点なので、最近は外人さんのハイカーも時折乗降します。

次の駅はもう高野町になり3駅目が現在の終着駅「極楽橋駅」であり、ケーブルカーで約5分で高野山上駅、そしてバスと乗り継いで山内から奥の院まで行けます。

高野山へは昭和35年高野山有料道路(現代は国道370号)の開通までは徒歩以外この南海電車しかなかったので満員電車もよく見かけましたが、現代はマイカーや観光バスで奥の院駐車場まで入れるので、日祝以外は電車は閑散としており橋本駅以遠では大赤字線と言われています。我が家にとっては駅まで1分のライフラインなので廃線になどならないよう願っています。










2013年1月14日 (月)

雪国

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」 ではなくて、今朝は外の小鳥の声も聞こえないあまりの静けさに1時間寝坊してしまって窓の異様な明るさに気づき目覚めて外に出て見ると 「我がふるさとは数年ぶりの雪国であった」 と云うところです。昼前まで降り続く下から解けながらですが7Cm積もりました。
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新雪を踏んで100Mほど坂道を登ると鄙びた南海高野線上古沢駅です。
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駅から我が家とは川をはさんで向かい側の集落の雪景色です。
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下の写真の真ん中辺に見える少し大きな建物は高野山道路のドライブイン「かじか」です。
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我が家側の集落の写真は向かい側に行かないと撮れず、雪の中を行く勇気もなかったのでご想像にお任せします。向かい側と似た風景です。

和歌山県北部のこの風景には皆さん驚かれたことでしょう、和歌山県南部には本州最南端の潮岬があり、白浜、勝浦など冬でも暖かい温泉地で知られ、中部はブランドの「有田みかん」や「南高梅」で有名ですが、大阪と境を接する北部には高野山の名に隠れた麓にこんな過疎の町があります。

雪が積もっても川端康成の「雪国」のような情緒とは縁遠い風景ですが、これでも生涯をここで生き抜くであろう私の故郷への想いは皆さんと同じだろうと思います。










2013年1月 5日 (土)

小寒に想う

今日は小寒の入りだそうで、我が家の外では今冬一番の冷え込みで-5℃、暖房していない部屋は1℃でした。いよいよ冬本番ということでしょう。小寒後15日から節分までが大寒、そして節分の翌日は立春ということですが、「小寒の氷が大寒に解ける」という言葉があったり、立春を過ぎても凍える日もあり、暦日と季節はいつもずれつつ巡っているように思います。

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野草はその想定外もある季節の厳冬をじっと耐えて少しのずれはあってもきっと来る春を待っています。同じ地球上の人も野草のようにみんな平等の忍耐で春を待てればよいのですが、温々と寒さ知らずに冬を越す人も居れば、飢えと寒さのなかいつ来るかも知れぬ春を待っている人も多く居ます。

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私の齡になると迎えることの出来る春の数はもう少ないですが、今年も並みの忍耐で春を迎え、日向の福寿草を見つけられそうな幸福感に浸っています。



 

2013年1月 1日 (火)

謹賀新年

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