« ウォーキングコースの植物 | トップページ | 庭に咲く花 »

2008年3月 3日 (月)

無駄話<梅見が歴史探訪>

 前にもお話したことのある親しい友達ご夫婦からドライブのお誘いを受けて希望の行き先を聞いてくれたので時季としては奈良県三大梅林(月ヶ瀬・賀名生・広橋)の一つで南朝ゆかりの賀名生(アノウ)梅林に昨日の日曜日を予定約束していましたが、二・三日前になって奥さんから観光協会へ問い合わせしたところまだ咲いていないのでどうしますと電話を受けたのですが天気さへよければ梅は咲いていなくてもお互い会って一日語り合えるのが楽しいからと予定通り決行しました。

 途中で待ち合わせの後、先ず両家共に月参りしている一言主神社に参拝を済ませ、一分でも咲いていてほしいと願いながら賀名生に向かいましたが着いて見ると、二万本と言われる梅林の、口の千本、一目万本、見返り千本、東雲千本、奥の千本、西の千本、振り返り千本、の総てを一周しても咲き始めていた紅梅を二・三本見ただけでした。

P1010205

 梅林満開ならばこうなります。
Dqfobj92

 でも此処で思いもよらない発見をしました、と言うのは皇居というのは東京都千代田区千代田一番にしかないと思っていたのが賀名生梅林の入り口に皇居があったのです、南北朝時代足利尊氏に京の都を追われた後醍醐天皇が1336年京都から吉野へ向かう途中、賀名生の郷士堀孫太郎信増宅に立ち寄って手厚いもてなしを受け、その後南朝三帝(後村上天皇・長慶天皇・後亀山天皇)の行宮となったという賀名生皇居跡(現在も堀家住宅)があり、重厚な冠木門には天誅組吉村寅太郎の筆という「賀名生皇居」の扁額が掲げられていました。すぐ近くには歴史民俗資料館もあり、見学すると歴史に関心の薄い私でもちょっと興味を抱く発見でした。

 賀名生皇居 冠木門
P1010203

 賀名生皇居(現在も堀家住宅)
P1010207_2

 賀名生を後に168号線を登っていくと天辻峠ですが、ここにはまた天誅組本陣が置かれた、この地方きっての豪商で有力者であったという鶴屋治兵衛屋敷跡が現在は天辻維新歴史公園となって、尊皇攘夷の大義名分を失い幕府から賊軍として追討され志半ばにして夢破れ維新の露と消えた志士達のことを偲ばせています。辺りに数軒ある民家の屋根や軒下には残雪がありました。
 そしてこの天辻峠の広場で大峰山系の山々の雪景色を展望しながら友人奥さんの手作りお結びの弁当をおよばれしました。

 天誅組本陣遺跡
P1010210

 大峰山系残雪展望
P1010212

 次は両側に雪が残り崖から氷柱の下がる路を天川村の「天河大弁財天社」に向かいました、この神社の主神弁財天は能楽発祥にも深く関わりがあり芸能の守り神とされ社殿内には能舞台があり春季大祭の4月14日には能が奉納されるそうです。この境内にもまだ残雪が多くありました。
 
この後黒滝道の駅で美味しい手作り蒟蒻の田楽を食べ、我が町に戻ってお好み焼屋で夕食を共にした後、有難いことに我が家まで回り道して送って頂き名残惜しい解散となりました。今日は一日運転をしてくれたご主人にはご苦労をおかけしましたが、梅見の予定が思いがけず歴史探訪と雪見のドライブとなりまた思い出が一つ増える楽しい一日でした。

 天河大弁財天社(鳥居の足元にも手洗い場の屋根にも残雪)
P1010217

« ウォーキングコースの植物 | トップページ | 庭に咲く花 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ウォーキングコースの植物 | トップページ | 庭に咲く花 »