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2009年2月10日 (火)

無駄話<弘法も筆の誤り>

 最近では首相の漢字の読み誤りが話題になりましたが、何事にも抜かりのない人が生涯に一度のような間違いを起したとき、「弘法も筆の誤り」、「猿も木から落ちる」とたとえられますが、「弘法も筆の誤り」と「猿も木から落ちる」は、もとは少し意味が違っていたようです。

 よく知られた諺も時代に連れて意味がすこしづつ変わってきているもの、余分な意味が付け加えられたもの、逆に意味が削られたもの、そして全く意味が変わってしまったものもあるようです。

「弘法も筆の誤り」という諺もその一つで、現代は「書の大家として知られた弘法大師でさえ字で間違いを起したことがあるのだから、どんな人間でも間違いを起すことがある」という意味で、「猿も木から落ちる」と同じように使われていますが、これは本来の意味から少し変わったというか省略されているようです。

 空海(弘法大師)は、遣唐使として唐に渡る以前からすでに書の腕前は大したもので、嵯峨天皇、橘逸勢と並んで天下の三筆と呼ばれていたそうです。その空海が勅命によって京の都にある応天門に掲げる額の文字を書くことになりました。「応天門」と書き上げ、早速設置したのはよかったのですが、よく見ると「応天門」の応の字の心の部分の上の点が一つ足りなかったそうです。書の大家としてその名を天下に轟かせていた空海が、小学生並みの間違いをしたわけです。

 現代の京都平安神宮応天門
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 これがかの有名な諺、「弘法も筆の誤り」の顛末というわけではなくて、この話には続きがあるのです。間違えた額をそのまま設置した一部始終を見ていた人々はどよめきましたが、空海は顔色一つ変えずに、筆を再び手にとり、その筆をすでに設置してある額に投げつけました。人々はその行動を見て空海は頭がおかしくなったのかと更にどよめきましたが、額を見てみると「心」の点が足りなかった部分に筆が命中しており、見事過ぎるほどに「応天門」の文字が完成していたというのです。

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 このことから「どんな人間も間違いは起すもの」、「しかし弘法大師は書き直し方さえ、常人とは違う」という、誉め言葉としての意味も併せ持つ諺とされていたそうです。

 しかし、「間違ったけれど、直し方が普通と違う」なんていう意味の誉め言葉は使われる場はなく、徐々に「誰でも間違いはある」という意味だけが残ったものと思われます。人は誰でも生涯には何度か「あっ、しまった」と思うことがあるものですが、そのとき弘法大師のように堂々と修正できれば最高ですが、我々凡人には真似はできそうもありません。

     「だれかに教えたくなる雑学700」より



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