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2010年1月26日 (火)

無駄話<石童丸物語>

 昨日に続いて学文路の地に所縁の無駄話です。高野山とその麓、学文路を舞台にした実話か、伝説か、作者不詳の物語か、「石童丸物語です。

 <平安時代後期のこと>
筑前の国、刈萱荘博多というところに、加藤左衛門尉(かとうさえもんのじょう)藤原の繁氏(しげうじ)という若い領主がいました。繁氏には桂子(かつらこ)御前という美しい妻の他に、千里(ちさと)御前という側室もいました。繁氏はこうした夫人達に囲まれて、春には花見、秋には月見と優雅な暮らしぶりでした。
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 <秘められた憎しみ>
桂子と千里は普段は仲良く平静をよそおってはいましたが、桂子の方は心の中で若くて美しい千里を憎んでいました。
 ある夜繁氏は、この二人が囲碁をしているのを薄明かりごしに見ました。すると二人の長い黒髪が蛇が絡み合って戦っているように見えました。そうこうしているうちに、正室桂子の千里に対する憎しみが顕わとなり、ついに千里殺害計画が企てられます。
 しかし家来の計らいで他人が身代わりとなることで千里は救われ、加藤家を逃れることになりました。
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 <繁氏出家>
嫉妬と憎しみは時としては人の命をも奪い取ってしまいます。それを知った繁氏はホトホト嫌気がさしてしまいました。この事件は繁氏自身をもひどく後悔させ、またそのことで繁氏の妻に対する心も虚しいものへと変化していきました。
 やがて、繁氏は誰にも行く先を告げず高野山の安養寺円慶を頼って登山し、出家してしまいます。その名を円空と改めました。時に繁氏21歳のことです。そして蓮華谷に質素な萱の屋根の庵を結んで一心に修行に励み、周囲からは刈萱同心(かるかやどうしん)と呼ばれるようになりました。
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 <父を求めて>
一方、千里は加藤家より播磨の国の大山寺に逃れ、観海上人に身を寄せ、やがて男子を産みました。これが石童丸です。繁氏が出家したときには、すでに身ごもっていたことなど、繁氏自身は知る由もありません。
 石童丸も大きくなって、高野山に刈萱同心というお坊さんがいるという噂を知りました。刈萱というのは筑前の刈萱荘にちなんだ名前であるとはすぐに想像がつきます。千里と石童丸は、父、繁氏を尋ねて高野山へと向かいます。
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 <学文路の宿>
千里と石童丸の二人は高野山の麓、学文路(かむろ)に宿をとりました。この宿の主人、玉屋与次兵衛から、高野山は女人禁制で女性は入山できないことを聞かされ断念します。それではということで、千里は父の身体的な特徴を石童丸に伝え、独り高野山へと向かわせます。
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 <独り高野山へ>
しかし慣れない足で不動坂まで来た頃は、とっぷりと日が暮れていました。仕方なく、不動堂(外の不動・清不動)で一夜を明かしました。
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 <父との巡り会い>
翌日、高野山へ登った石童丸は、あちこち訪ね歩きます。しかしなかなか遭うことがかないません。数日目にたまたま奥之院無明(むみょう)の橋まで来たときに、前から花筒を持ったお坊さんとすれ違います。
 そこで石童丸は駆け寄って「刈萱道心という方を探しています。どこにおいでかご存知ありませんか?」と尋ねました。繁氏(円空)は石童丸の身の上を聞いて、たいそう驚きます。
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 <伝えられた悲しみ>
石童丸の話を聞いた繁氏(円空)は、自分が父であることは名乗らず、しかも「繁氏という人は去年の秋に亡くなった。その墓はちょうどそこに建っている墓である」と近くにあった適当な墓を示して石童丸に伝えました。それを聞いた石童丸はその墓の前で泣き崩れました。
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 <悲しみの下山>
繁氏(円空)は出家した修行中の身であることから、今さら石童丸がわが子と分かってもどうすることも出来なかったのでしょう。繁氏(円空)は石童丸に「早く母のもとに帰ってあげなさい」と告げます。石童丸は仕方なく母の待つ学文路の宿に戻ります。
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 <重なる悲劇>
石童丸が学文路の宿まで帰ってみると、なんと、母の千里はこれまでの長旅がたたったのか、急病で亡くなっていました。石童丸の悲しみは察しても余りがあります。仕方なくこの学文路の地に母を葬ります。
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 <再び高野山へ>
父とも巡り逢えず、さらに母にも逝かれ、独りぼっちになってしまった石童丸。そこで思い浮かぶのは、母から聞いた父の特徴によく似た高野山で遭ったお坊さんのことでした。あの方なら自分の相談にのってくれるに違いないと、再び高野山を目指すことになります。
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 <石童丸出家>
再び高野山に登った石童丸は、繁氏(円空)の弟子となり道念と名乗りました。しかし繁氏(円空)は生涯親子であることは明かさなかったそうです。その後30年以上、師弟として一緒に刈萱堂で修行に励んだそうです。
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 <親子地蔵>
その後繁氏(円空)は信州の善光寺に赴き、御堂を構えて地蔵菩薩を刻み、建保2年(1214)に没しました。追って石童丸(道念)も信州に移り、父と同じく地蔵菩薩を彫り上げました。その地蔵さんは現在も親子地蔵として信仰されているそうです。
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 <所縁のお堂>
高野山の刈萱堂は繁氏と石童丸親子が修行した場所と伝えられています。また現在は廃堂となっていますが京大阪道、長坂の途中には観音寺刈萱堂がありました。さらに橋本市学文路にも刈萱堂(西光寺)が現存します。ここには「人魚のミイラ」があることでも知られています。

 高野山刈萱堂
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 学文路刈萱堂(西光寺)
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