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2010年4月17日 (土)

無駄話<そして誰も>

 アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」ではないけれど、私は最後の一人になりました。というのは私は5男2女兄弟の末っ子5男ですが、親元に残り両親を見送り、そして兄姉たちも年長から順に亡くなり、去る13日、私の11歳年上の4男の兄も逝き、とうとう私一人になりました。

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 親戚知人から「兄弟誰も居なくなり、淋しくなりましたね」と声をかけてくれます、淋しくないといえばうそになりますが、兄姉たちは私がものごころついた頃には夫々仕事や学校で家を出ており、共に遊んだ記憶も、兄弟喧嘩の経験もありません。どちらかと言うと一人っ子と伯父伯母のような関係でした。

 そして今は、余り齢の差のない甥姪たちが13人も居り、みんなが「kazutyan,kazutyan」と入れ替わり立ち代り親しく訪ねてくれたり、こちらから訪ねたりしているので、淋しさはあまり感じておりません。

 それに今亡くなった兄とは、昨秋11月、兄嫁も病気になって入院したとき、息子は遠距離、娘は二人の介護は無理となり、生家である私宅に来て半月ほど一緒に過ごすことが出来ました。家内のつくる料理を「美味い、美味い」と喜んで食べてくれ、夜は枕を並べて寝て、兄弟でも子供の頃に無かった思い出を残すことができました。

 追憶の森
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 この亡兄は10代で大阪に出て新聞社で働きながら、高校・大学の2部を出て教師の資格をとって中学の数学教師になり、後半生では校長として問題校を次々と担当して、生徒やPTAに問題があれば、腹を割って根気よく話し合って改革し、一方、生徒の立場、父兄の立場からの筋の通った要求なら、教育委員会に怒鳴り込みもする、生徒や父兄から信頼厚い名物校長でした。

 定年退職後も70歳まで、私学に勤めて退職したのですが、教職ひとすじできただけに、趣味もなく、退屈そうで、昨年生まれた始めてのひ孫の成長と、晩酌だけが楽しみの日々でしたが、もう少し元気で長生きし楽しみを見つけて欲しかった気がします。

 追悼
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 葬儀は心から別れを惜しんでくれる息子一家・娘一家と親族だけで秘めやかに、静かに執り行われ、安らかな旅立ちでした。私も後10年余り、せめて兄の齢までは元気で過ごし、同じような旅立ちが出来るよう念じています。

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