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2010年10月27日 (水)

無駄話<懐古>

 実は車で1時間ほどのところに住みながら最近まで知らなかったのですが、江戸時代からの商家や街並みの残る現代の富田林市、「寺内町(じないまち)」を、近くに住む甥夫婦の案内で訪ねてきました。高台から俯瞰すると、時代劇映画村のような家並で、そぞろ歩くと2~300年くらいタイムスリップした感じでした。

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 ここは1560年、京都の真宗寺院興正寺の証秀上人が大阪府南部の荒地を高谷城主安見美作守から百貫文で購入し、周辺4ヶ村の8人の庄屋衆の協力で翌年別院を建てた所から始まります。興正寺別院(御坊)を中心に8人衆の合議制で寺内町がつくられたそうです。当時は戦国時代なので周囲には壕と土塁を巡らせていました。町の規模は南北約320m東西400mで、南北に筋と言われる道路が7本、東西に道と言われる道路が8本つくられました。

 石山本願寺が信長に打ち負かされた後は真宗以外の人も増え、江戸時代には天領として酒造、木綿、呉服、材木等の産業が栄たそうです。元禄から文化年間(18世紀初めから19世紀初め)の豪壮な商家がたくさん残っています。
重要文化財旧杉山家住宅、仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残され、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 

  興正寺別院
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 富田林寺内町造営の中心であった八人衆の筆頭年寄であった杉山家は、当初木綿問屋を営み、その後酒造業を始めた河内酒造業の肝いり役を務めた大商家で、明治の明星派歌人・石上露子(いそのかみつゆこ)の生家でもあります。寺内町最古・最大の南河内地方農家風建築様式であり、屋敷地は一区画(千坪、現在は430坪)を占め、当時の繁栄を見ることができます。

 

 杉山家

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 煙出し
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 八人衆の有力者仲村家は、1782~1783(天明2~3)年の建築であり、河内一の造り酒屋として発展しました。軒の高い本瓦葺きの主屋は寺内町でも珍しい表屋造りです。吉田松陰や頼山陽も訪れたといいます。このほかにも多くの旧家屋があり、大阪府の有形文化財にも指定されています。

 仲村家

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 虫籠窓
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 これだけの家並、現住のものも多くあり、改築改修にも制限が多く、維持していくには住民の並々ならぬ理解協力が必要ですが、なんとか残して欲しいものです。



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コメント

急に寒くなりました。良いですねぇ。あの戦火を免れたのですね。この界隈を裾さばきも軽やかに、そぞろ歩く足元はブーツでなく草履でゆっくり、私も懐古したいものです(*^-^)。実際住んでおいでの家主さん達はこの佇まいを維持、保存するって、大変!!!行政の助力が絶対不可欠ですね。かけがえのない貴重な文化財ですもの!

チョロピコさん、こちらも寒くなりました、夕べは木枯しが吹き荒れ、今朝は5℃まで冷え込みました、やはり秋は夏に食い込まれた分短いようです。
寺内町をチョロピコさんが着物姿でそぞろ歩いているのを想像しました。でもケアンズのほうが似合っているようです。

決して立派な家ではありませんでしたが、
小さい頃住んでた家は、長い廊下や縁側があり、
かまどがあり、外には井戸もありました。
なんてこと思ってませんでしたが、なくなってしまうと、ものすごく寂しいものです。

周りがマンションや新築の家ばかりだとなんだか
味気ないものです。

維持していくのは大変でしょうがなんとか
遺して言ってほしいものですね。

かおりんさん、昔の家の長い廊下や縁側、現代の機能本意の家に比べれば無駄が多いようですが、癒しやゆとりがあるように思います。

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