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2010年11月19日 (金)

無駄話<記念館>

 先日の「そば処幸村庵」の紹介と前後しますが、わが九度山町は高野山観光の車や電車が通過する町でありながら、町内には観光ポイントというほどのものは無かったのですが、昨年、「松山常次郎記念館」と「旧萱野家(大石殉教尼の記念館)」、二つの記念館が開設されました。

 松山常次郎記念館
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 九度山町が生んだ政治家松山常次郎氏に関する遺品や資料が展示されています。常次郎氏の功績を後世の者にまで伝えたいという思いで開設されました。建物は常次郎氏のご実家を改装したもので、錣造り(しころづくり)といい、今となっては珍しいつくりとなっています。

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 松山常次郎氏は、実業家として、政治家として活躍されました。九度山町から唯一衆議院議員となられた方です。実業家として会社を設立し、韓国に広く水田を開拓しました。その後、衆議院議員に当選し、海軍政務次官などを歴任されました。日米開戦を防ごうと努力されましたが、開戦。戦後、戦犯として政治の世界を去りました。

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 常次郎氏の長女美知子さんは、かの有名な故・平山郁夫画伯の夫人であり、画伯は常次郎氏ととても仲がよくて、一緒に過ごされることが多かったそうです。記念館では、画伯が描いた松山常次郎氏の絵が展示されています。記念館の看板も画伯直筆のものです。

 旧萱野家(大石殉教尼の記念館)
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 旧萱野家は、江戸時代中期に高野山真蔵院の里坊(不動院)として建立され、明治時代まで続いた由緒ある建物です。民家(萱野家)として現存しておりましたが、平成21年2月、町が文化財の保存・保護のため譲り受けました。

 里坊というのは山寺の僧などが人里に構える住まいのことで、避寒の所とされており、県内では数少ない現存の「高野山里坊」である歴史的建造物です。この里坊には、大石順教尼がしばしば滞在されていました。

 大石殉教尼は明治38年、養父中川萬次郎の狂刃により六人斬り事件に巻き込まれ、17歳の身で両腕を切り落とされてしまいます。筆を口にくわえ書画の世界へと入られ、苦難の道を乗り越えて尼僧を志されました。高野山での出家を目指してこの地へ来られましたが、当時の高野山へ入ることがなかなか許されず、旧不動院・萱野正之助、タツ夫婦が菩提親となり高野山天徳金山大僧正を師として得度しました。その縁でしばしば九度山萱野邸にて過ごされ、多くの書画をこの邸に書き残しています。

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 もし高野山へお越しの機会がありましたら、お立ち寄り頂ければ幸いです。

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コメント

九度山町は、高野山の近くなんですね。
お坊さんの姿も見られますか?

松山常次郎氏は、九度山町の誇りですね。遠く韓国まで渡って、水田を開拓したとはすごいです。

私も韓国の疲れがとれたようです。
年をとってから、無我夢中で遊んだのは久しぶり。
韓国では、雑穀もいっぱいありましたよ。

高野山近くの九度山町に、このたび「松山常次郎」記念館が開説され町の活性化にもつながるのでは、建築物は常次郎氏の実家を改築されたとの事、立派な建築物です。

いしころとまとさん、旅にしても趣味にしても、仕事にしても、無我夢中になれるということは若さであり、また若さ維持の素ですね、韓国の雑穀にも興味を惹かれたことでしょう。

山ちゃんさん、九度山町は今まで高野山への車が通るのを見ているだけの町でした。これからはちょっと寄り道してもらえる町になれるかと期待しています。

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