« 無駄話<絆> | トップページ | 無駄話<阿呆か煙か> »

2010年12月21日 (火)

無駄話<終い弘法>

 ここ2~3日、畠から見える高野山行きの展望電車「天空」の臨時が出ているようだと思ったら、今日「終い弘法」の21日は平日なので、18~19日(土・日)にお参りする人が多かったようです。

 高野山行き展望車「天空」
Img_1186253_27356525_31

 各月21日は弘法大師が、835年(承和2年)3月21日高野山奥之院で入定、即身成仏された日に因んで、全国の弘法大師ゆかりのお寺では法要など行われていますが、その年内最後の12月21日は特に「終い弘法」とか「納め大師」とか言われて、参拝する人が多いのです。

 弘法大師像
Y1pvj3cawf0h76ca132gelcaupvtegca9nj

 高野山は市街地からは遠く交通の便も悪いので、同じ弘法大師ゆかりの寺、京都東寺ほどではないのですが、12月21日と「初弘法」の1月21日は、他の月よりは多くの参拝者があります。なのに、私は高野山の麓に住みながら、罰当たりなことに「終い弘法」にも「初弘法」にもお参りしたことがなく、それで運もひらけないのかなと納得しています。

 ここで弘法大師(空海)と高野山の所縁を辿ってみますと、延暦23年(804年)、31歳で第16次遣唐使留学僧として唐の長安に入り、「虚しく往きて実ちて帰る」と、わずか2年の留学で阿闍梨位など大きな成果を得て、20年の予定が2年で帰国したのです。

 遣唐使留学生
308018_c1851

 弘仁7年(816年)6月19日43歳のとき、修禅の道場として朝廷に高野山の下賜を請い、7月8日には、高野山を下賜する旨勅許を賜わり、翌弘仁8年(817年)、泰範や実恵ら弟子を派遣して高野山の開創に着手し、弘仁9年(818年)11月には、空海自身が勅許後はじめて高野山に登り翌年まで滞在しました。弘仁10年(819年)春には七里四方に結界を結び、伽藍建立に着手したのです。

 現代の壇上伽藍
2467051

 天長9年(832年)、59歳のとき、仏都として形の整った高野山で初めて万灯万華会が修められたそうです。承和2年(835年)3月21日61歳で、高野山奥之院で入滅即身成仏されたのです。今、平成27年4月2日~5月21日の50日間の「高野山開創1200年記念大法会」の準備が着々進められています。

 開創1200年記念イメージキャラクター
1252208338705161268181



システム英単語ver.2 システム英単語ver.2

販売元:楽天ブックス
楽天市場で詳細を確認する

前置詞がわかれば英語がわかる Book 前置詞がわかれば英語がわかる

著者:刀祢 雅彦
販売元:ジャパンタイムズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

« 無駄話<絆> | トップページ | 無駄話<阿呆か煙か> »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

木賊色のような緑と朱色の「天空」!あぁ~乗ってみたいです。我が家も弘法大師さんの教えですが、キリスト教もイスラム教も仏教も人の幸せを願うは同じなのに、どうして宗教の争いって絶えないのでしょうね。それにしてもkazutyanさんはお膝元の高野山麓にお住まいだなんて、霊験雨嵐の中で瞑想の達人かな?!

チョロピコさん、日本国内でも信仰宗派が数多くありますが、お互い信仰の自由を認め合って争いは起きないのは世界に誇れます。宗教の違いで戦争なんて愚の骨頂だと思います。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 無駄話<絆> | トップページ | 無駄話<阿呆か煙か> »