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2011年1月23日 (日)

無駄話<遭難>

 「おめでとう、おめでとう」を交し合っている正月中にも、火事、交通事故、事件、雪山遭難、世界では各地で洪水など、ずいぶん多くの遭難がありました。それぞれ当事者にとっては悲運の一言や同情では片付けられないことでしょう。

 今日1月23日は、一世紀もの間語り継がれ、歌になり、幾度も映画になり、また後世の教訓にもなり、今も高齢者の大半の人の記憶の片隅には残っていると思われる、二つの悲しい遭難の日なのです。

 その一つは、1902(明治35)年の今日 、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難したのです。冬の八甲田山は本来は冬の重装備が必要だったですが、指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始したため、猛吹雪の中で道を失い寒さと飢えと疲労の為に遭難して行ったのです。25日になって199名の死亡が確認されました。

 映画「八甲田山」
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 もう一つは、1910(明治43)年のこの日、神奈川県の逗子開成中学のボート部の生徒12人が学校のボートで乗り出し、七里ヶ浜沖で遭難して全員が死亡したのです。兄弟で抱き合った遺体もあり、血涙を誘ったそうです。この遭難は社会的事件として新聞で大々的に扱われたそうです。この悲報に接した鎌倉女学校の教諭・三角錫子さんが賛美歌に詩をつけ「七里ヶ浜の哀歌」と題したのです。それがあの「真白き富士の嶺」となって全国で愛唱されたのです。

真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さ腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
月も星も、影を潜め
みたまよ何処に迷いておわすか
歸れ早く、母の胸に

 遭難の詳細は知らなくても、切々たる哀歓迫る詩です。

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 そしてさらに開成中学の悲劇はこれで終わらなかったのです。ボート部遭難から70年後の1980(昭和55)年、これは12月26日、新制で開成高校となった同校山岳部6人が八方尾根の第2ケルン、第3ケルンを経て、北アルプス唐松岳に登り、27日に帰る予定でした。

 しかし、26日昼前に別のパーティーとすれ違った後、消息が途絶えたのです。30日にはヘリからの捜索が行われ、雪中のテントが発見されたのですが、教諭1人と高校生5人の姿は見つからず、捜索はいったん打ち切りとなったのです。再開は翌1981年5月2日、八方尾根北側の南股川上流で相次いで発見されました。6人の遺体は南股川を覆った雪の中に埋もれ、雪解けとともに流されたようです。最後まで全員が一緒に行動していたようだということでした。

 「悲劇は繰り返す」という嫌な言葉もありますが、同一人に繰り返すようなことだけはなく、できるだけ大勢に軽く分散して、助け合って負担したいものです。今日は暗い無駄話になり申し訳ないです。



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コメント

kazutyanさん、今晩は、お久しぶりです。二つの悲しい話は実際にあった出来事でしたね!骨太の映画「八甲田山」は以前観ました。そしてあの「真白き富士の嶺」を歌う時はいつも涙・・・。これを無駄話とは、とんでもない話でございますよ!!!また教えて下さいね。

チョロピコさん、これは失言でした、こんな話を無駄にしてはいけません。命を懸けて教えてくれた教訓は永久に忘れてはなりません。

まだ、こちらで連絡が取れますでしょうか

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