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2011年3月10日 (木)

無駄でない話<火の海>

 今日は無駄にしてはならない話です。66年前の1945年の今日3月10日に日付の替わってすぐから、今暁にかけて東京が火の海となり、夜明けには見渡す限り焼け野が原と化した日です。

 焼け野が原となった東京
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 広島、長崎のように、世界で始めての原子爆弾による後世まで長く影響の残る悲惨な被害の陰に隠れて、取り上げられる機会も少ないようですが、災害の大きさを同年末までの死亡者数でみると、広島=140000人、東京=84000人、長崎=74000人であり、その被害の大きさが分かります。

 東京はそれまで、1944年11月14日以降に106回も空爆を受けていますが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月25日と繰り返し大規模な空襲を受けました。通常「東京大空襲」と言った場合、特に規模が大きかった1945年3月10日に行われた空襲を指すことが多いです。太平洋戦争(大東亜戦争)中に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に多くの被害を与えた空爆でした。

 それまでの爆撃とは違って、3月10日の大空襲は低高度・夜間・焼夷弾攻撃でした。その目的は、市民の生活の場である木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあったのです。多くの民間人を巻き添えにしたこの攻撃についてアメカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっていたからと理由付けしています

 焼夷弾爆撃
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 3月9日から3月10日へと日付が変わった直後の0時7分、爆撃が開始されました。爆撃は325機ものB-29という大型爆撃機(うち爆弾投下機279機)によるもので、0時7分に深川地区へ初弾が投下されたのを皮切りにその後城東地区にも爆撃が開始されました。0時20分には浅草地区や芝地区(現・港区)に対する爆撃も開始されたのです。爆撃による火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、火災による秒速50m以上という竜巻並みの暴風がさらに被害を大きくし、逃げ遅れて炎にまかれて亡くなった人も多くいたのです。

 火の海東京
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 この爆撃に際しアメリカ軍は関東大震災(1923)における被害実態を事前に徹底的に検証していたそうです。そしてアメリカ軍は、木造住宅の密集する東京の下町が火災被害に遭いやすいことをつきとめ、焼夷弾の選定や攻撃目標の決定に反映させたのです。東京大空襲の被害地域が関東大震災の延焼地域とほぼ一致し、被害は大震災時を上回っているのは偶然の一致ではないようです。

 当時の警視庁の調査での被害数は以下の通りです。

  • 死亡:8万3793人
  • 負傷者:4万918人
  • 被災者:100万8005人
  • 被災家屋:26万8358戸

 報道規制の敷かれた当時のこと、実際の被害はもっともっと大きかったという話もあります。年に一度はこういうことがあったことを思い起こし、知らない世代に伝えていくことも、平和を維持する一助にはなると思います。



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コメント

B-29、忌まわしい兵器の名前です。幼児の私は電球が揺れる中で父がゲートルを巻いている姿、庭の防空壕の中で一升ビンの米をつつく音を覚えています。地球に住む人間の浅ましさ。戦争とは大義名分なんてありゃぁしないのに大人が狂ってやること。先日映画「太平洋の奇跡」を観ました
!昨夜はカメラがとらえた戦争の悲劇をテレビで観ました。久しぶりに悲しみや可哀相の涙を通り越して、やり場のない涙があふれ、暫し胸が苦しかったです。。。ホント!絶対に風化させてはいけませんね(。>0<。)

チョロピコさん、もう「Bー29」「ゲートル」「1升ビンの米搗き」なんていうのは昔話になって忘れられ、またぞろ世界の各地で火種がくすぶり始めているのが心配でなりません。個々人は平和を願う人ばかりなのに、一部の悪魔の宿った人間に世界が動かされるのを、どうにも出来ないのが悔しい限りです。

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