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2011年3月29日 (火)

親切

 震災の後、各企業が営利目的のテレビコマーシャルを控えているからか、ACジャパンの公共広告が盛んに流れます。視聴者からくど過ぎるとクレームのついたものもあるそうですが、男子高校生が電車の中でお腹の大きい妊婦さんが目について、席を譲ろうかとちょっと躊躇した瞬間に、若い女性がさっと立って席を譲り先を越され、譲れなかった高校生の後悔の表情に、「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える」と、宮沢章二さんの詩の一節がながれます。

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 続いて先ほどの高校生が、歩道橋の階段を杖をついてゆっくり上っていくおばあさんを一旦通り越してから、戻っておばあさんに手を貸して上ります。そのあとの高校生の表情が清々しく、おばあさんの穏やかな喜びの表情、そしてまた「思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」とメッセージが流れます。

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 こういう心遣いや思いやりの行動をしようとするとき、その労力の苦痛より、相手がどう受け取ってくれるかと、声をかけることを躊躇するものです。そして行動する機会を逃してしまうと、行動しないことが当たり前になってしまい、それどころか、行動することが「おかしな事」「恥ずかしいこと」に思えてしまうことさえあります。でも勇気をもって声をかけて喜んでもらえ感謝されたら相手以上の喜びが感じられます。やはり思ったらすぐ行動するべきです。

 こういう行動を一般的に親切といいますが、「親切」、と言う文字、「親を切る」とはちょっと穏やかでない気がしますが、もちろんそういう意味ではないそうで、「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で、「切」は刃物をじかに当てるように、「身近である」「行き届く」という意味だそうです。つまり、身近に寄り添い、行き届くようにすることが「親切」だそうです。また思い入れが深く切実であることの意味で、古くは「深切」の字が用いられていたこともあるそうです。

 ベゴニヤ 花言葉「親切」
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 普段の行動で他人に親切にするのはよいことですが、今回の被災地への支援は親切なんていう気持ちで済むことではないと思われます。同じ国の国民として被災者支援と復興に対して一致協力する義務があると考えるべきでしょう。

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コメント

家の塀に、
なんでも言って下さい、お手伝いいたします。
空気入れ自由に使って下さい。
お水をどうぞ。
など・・今回の震災後の情景では、色々な親切が見えてきます。
不思議なもので、前は散歩しているときに挨拶をしても、挨拶が返ってこない事が多く、ちょっと寂しい思いをすることが多かったのですが、震災後は皆さん笑顔でご挨拶。
お互い無事でよかったね。という思いが
伝わってくる笑顔です。

いしころとまとさん、取り返しのつかない大きな大きな犠牲の上ではありますが、みんなが人の心の原点に戻って出直す気分になれた気がします。この機会を無駄にしないように努力しなければと思います。

おはようございます
親切も深切もできることはすべて協力したい気持ちです
小さなことでも積み重なれば大きな力になりますね
<日本はチームなんです>
この言葉がひとりひとりを大きなひとつにしてくれると信じます

エフさん、遠隔地だけに、ささやかな募金くらいしか出来ることはなく、もどかしく、普通の生活をしていることが申し訳ない気がします。

今晩は、いつも遅くにお邪魔です。当たり前の生活が如何に電化に頼っていたか!先進国のメンバーとして如何に驕っていたか!この辺でもういっぺん眠っていた底力を甦らせ、価値観を見直す時が来ましたね。あまりに悲しみが深い分、痛切に「深切」という字の含みを感じます!こんな時、親切ごかしはもってのほか(`ε´)ですよね!

チョロピコさん、本当に今の時代は電気に頼りすぎている気がします。命まで電気に預けてしまっているような現代、考え直す機会だと思います。
親切はやはり相手の気持ちに思いやりのある親切でないと押し売りの親切になってはいけないのですね。

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