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2012年10月

2012年10月29日 (月)

蜘蛛の巣

蜘蛛の巣の 網干す日和 雲高し

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蜘蛛さんは夏の間の猟期も終わり秋空に網を干したまま紅葉狩りでも出かけたのか留守にしています。

毎日のウォーキングコース、朝一番早く歩くのは割合背の低いAさんですが、この方は木の枝を持って蜘蛛の巣を払いながら歩いてくれます。二番目に歩くのは背の高いBさんです、そして高いところに残っている分を取ってくれます。一番遅い中背の私はすっきり蜘蛛の巣のない道を歩けます。

たまにAさんやBさんが用があって歩いてない日、一番に歩けば蜘蛛の巣地獄にからめ捕られそうです。今年の夏は特に蜘蛛が多かったように思います。

コースの殆どは樹林の中ですが、両側の木の枝の間は3メートル近く開いているのに、その間に巣を張っています。

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張り始めの一本はどうするのか?一方の木に端を固定したあとお尻から糸を出しながら木から下りて道を渡り反対側の木に登って引っ張るのかと思って、蜘蛛の設計士さんに聞いてみたら

蜘蛛さん 「そんなとろいことはしないよ、片方の木から長く糸を垂らしてのんびり待っておれば風が吹いて、反対側の木の枝に糸が絡まってくれればしめたもの、張った糸の綱渡りを数回繰り返せば基礎糸工事は瞬く間、あとは放射状に張った基礎糸の上をぐるぐる回っていけばいいんだよ」

ということらしいです。

蜘蛛さん 「でもこの道を毎朝通られるのは迷惑千万、巣つくりは簡単と云っても朝日が昇り獲物が飛び交い始めるまでに急いで毎日作り直さなければならないのだから、ちったあ心して通ってくれよ」

と言われました。

 

2012年10月22日 (月)

銀杏の生る木は公孫樹

林檎の生る木は林檎の木、柿の生る木は柿の木、蜜柑の生る木は蜜柑の木なのに、銀杏のなる木は古い言葉では公孫樹なんて云います。この由来は後にして、家内は毎年何回か作る茶わん蒸しに銀杏の実は欠かせないと、村の神社の公孫樹の実を拾ってきます。

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木の下は足の踏み場もありません。

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公孫樹の実を拾うのはちょっと勇気が要るようです、というのはあの独特の匂いと、素手で触るとかぶれるからです。それに今時の若い主婦に見られるとあんなもの拾ってどうするのだろう、変なおばさんと思われそうだからです。今は拾う人は殆ど居なく、宮守さんは掃除に困っているそうです。でも勇気のいるおばさんの仕事は拾って持って帰るまでで、あとの手間は否応なく変なおじさんに引き継がれます。

しばらくは庭に広げて果肉を腐らせます。

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腐りの頃合いを見て長靴を履いて果肉を踏み潰し実を飛び出させます。

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飛び出した実を一粒づつトングのような火挟みで拾い出します。

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ゴム手袋をさして、シャワーをかけながら掻き回して残った果肉を洗い流します。

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洗い上がったものです、あと乾燥すれば仕上がりです。

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乾燥した公孫樹の実

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胡桃割で殻を割って剥きます。変なおじさんの担当はこれでお終い。

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これからは又変なおばさんの仕事、湯がいて渋皮を取り冷凍保存します。

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来客のときなど年に数回は銀杏の実を入れた茶碗蒸しを作ります。残れば銀杏飯を炊きます。

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漢字で銀杏という名は熟して落ちて潰れる前の果実の形が杏に似ており、果実の表面は銀白色に見える粉がふいているからであり、公孫樹と呼ばれるのは一度植えれば孫の代まで実が採れると云う意味で、共に中国語に由来するそうです。

2012年10月17日 (水)

ブログ再開

 皆様、永らく休みご無沙汰してしまいましたが、吉ちゃんさんに促されぼつぼつ再開して見ようかなという気になりました。以前のように毎日投稿なんて出来ませんが、散発でのんびりいきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 暑い間休んでいた山歩き、9月末に京都大阪方面から高野山への巡礼古道「京大阪路」の最後の難所の急坂不動坂の旧道が2年ほど前修復されたのですが、まだ歩いてなかったので近所のご夫婦と歩きました。

 高野山への巡礼道は、7つあって、「高野七口」とも呼ばれていますが 中世からのの主道路は世界遺産にもなった九度山慈尊院から大門へ至る「町石道」が有名ですが、また、橋本、学文路から 河根を経て神谷(かみや)へ至り、今は南海電車の終点駅となっている極楽橋から不動坂を経て高野山へ  と登る「京大阪道」と呼ばれた裏参道は、明治から昭和始めにかけてこの道が最短距離であることから賑わいをみせたそうです。

 先ず我が家から南海電車で三駅20分ほどで極楽橋です。2051631_12

 極楽橋を渡ると不動坂の起点です。5分ほど歩くと舗装された新不動坂から右に分岐する復元旧不動坂の急登いろは坂が始まります。

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 いろは坂を登り切ると後半は緩やかな登りです。
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 高野山内で罪を犯した者を簀巻きにして崖下に突き落としたという刑場跡「万丈転」を通ります

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現在は植林もされ、それほど険しい崖でもありませんD1

一旦新道を横切るところに清不動堂があります。

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清不動堂右横からの旧不動坂登り口は険しいです。P1030672

急な坂道のため駕籠に乗ったまま道ばたの野の花を手折ることが出来たことに由来する花折坂を通ります。

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 花折坂を登りきると不動坂終点女人堂です。

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 夏の間休んでいた山歩き、足がなまっていないか不安がありましたが、歩いてみて自信が戻り不動坂だけでは物足りず、女人堂が登山口である辨天岳を超えて大門に下りました。 辨天岳山頂です。

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 高野山大門です。

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 高野山開創1200年(平成27年)記念で伽藍に建立中の中門です。

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 伽藍からはバス、ケーブルカー、電車を乗り継ぎ帰りました。

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